No doubt!!!!!

関西の”8人の小人”と紡ぐFunkyな日々

「刑事バレリーノ」と「"担当"からの卒業」

祝★新春単発ドラマ

3日ほどお祝いが遅くなりましたが、

裕翔くん新春ドラマ「刑事バレリーノ」主演おめでとうございます!

 

新春で単発ドラマのお話しが来るだなんて、売れっ子俳優街道まっしぐらですね!!

 

気が早いけれど、数字次第では連ドラ化の可能性もなきにしもあらずなわけで

今から早速、主題歌・裕翔くんセンター楽曲楽しみにしております!!!

 

何より堤さんと裕翔くんのタッグがとにかく楽しみで。

全く予想だにしていなかったことだけれど、

でも堤さんの持つ世界観と、裕翔くんの順応性がうまく融合されて

面白い作品になるんだろうなーと期待しかありません。

 

「ピンクとグレー」の公開も近づいてきたことだし

2016年の「俳優・中島裕翔」がどんなものになるのか、期待しております。

 

 

 

 

 

とはいうものの

「刑事バレリーノ」の決定を、ものすごく冷静に見ている自分がいて少し寂しい。

いつもなら「うううう、またこれで俳優・中島裕翔の地盤が強固なものとなるのう・・・」とか「数字は取れるかしら、裏番組は何かしら」「うちの子の歴史に泥を塗るようなことがあったら許さないわよ」とか、何者かも何キャラかもよく分からない視点から様々な感情を産み出し発していたというのに

今回浮かんだ唯一の感情は

「あ、裕翔くんドラマ出るんだー!!見ようー!!楽しみーーー♪」だった。

 

余談だが私は合コンで「好きなタイプの芸能人は?」と聞かれたら「勝地涼くん!」と答える程度に勝地くんをお慕い申し上げているわけだが、前クールの「ド根性ガエル」への出演が決まった際

「あ、勝地くんド根性ガエル出るんだー♪見ようー♪楽しみ―♪」と周囲に漏らしていた。

 

話は逸れたものの、かれこれ7年近く自分の人生の中心にいた中島裕翔くんのお仕事決定に対して、これまでは毎度毎度のように「もち米買ってこいー!今宵は赤飯じゃ!!」とわが身をあげてお祝いしていた私が、先にあげた勝地くんの例のように

「わー、好きな俳優さんの中島くんが新春に単発ドラマやるんだー。わー、楽しみー」

とどこか他人事のように捉えていた。

 

 

近い記憶から思い返せば、「理想の息子」(2012年冬)の出演が決まったとき、「やまちゃんのバーターとはいえ、高校生活最後の最後にお仕事決まってよかったね!トリオみんなドラマのお仕事が来てよかったね!」と我がことの如く喜んだことが遠い昔の出来事のようで

 

「ジャニーズワールド」でのセリフ、見せ場の少なさに勝手に落ち込んでいた*1ところに突如飛び込んだシェアハウスの恋人(2013年冬)

ドラマの内容はどうあれ*2「バーターじゃない」という事実に喜んだこともあった。*3

そして、「俳優・中島裕翔」の飛躍のきっかけとなった半沢直樹(2013年夏)。

「ジャニーズらしくないジャニーズの若手俳優」という世間様からの有難い褒め言葉

「高視聴率番組に出演していた」「その高視聴率に邪魔することなどなく、全力で貢献していた」という事象が裕翔くんご本人(とおたく)の大きな自信となった。

そして「東京バンドワゴン」(2013年秋)へのゲスト出演を経て、

「ジャニーズらしくない若手俳優・中島裕翔」を若手俳優界隈、世間様に知らしめるきっかけとなった「弱くても勝てます」(2014年春)へのメインキャストとしての出演。

嵐畑で育ってきた私にとって、陳腐な言葉を使えばいわば「私得」な作品であった。

いつか裕翔くんと嵐のメンバーがドラマで共演したらいいのにな~♪なんて

希望的観測よりももっと浅い、夢物語程度に感じていたことが実現してしまい、

嬉しくもあり、どこか寂しくもあった・・・・・。

そして、初主演ドラマ水球ヤンキース(2014年夏)

「主演」という2文字、たった2文字に胸は躍り、心はときめき、青春時代のような甘酸っぱい日々をドラマの世界と共に駆け抜けることが出来た。

このドラマラッシュをとてもよいテンポ感で駆け抜け、まあ少しここらで一休みしたいわねーなんて言って、裕翔くんとおたくが「虚無感」を感じていたところに飛び込んできた「デート~恋とはどんなものかしら~」(2015年冬)出演。「エンジン」以来の月9返り咲き。

そして、銀幕デビュー作にして初主演映画「ピンクとグレー」(2016年新春公開)の決定。

2013年からコンスタントに役者としての仕事が舞いこみ、その1つ1つを確実にこなしステップアップしていく裕翔くんの姿を追いかけるうちに

 

・なんでこんなに裕翔くんにドラマの話がたくさん来るのだろうか?

・かつぜつのことで世間様に叩かれたりしないかしら

・こんな大御所キャストに囲まれて、力不足・・・と世間様に叩かれたりしないかしら

・演技力のこと褒めてもらってるけど、そんなに世間様が言って下さるほどの演技力なのだろうか*4

といった勝手に抱いていた”不安感”がいつの間にか

 

・裕翔くんなら大丈夫

・裕翔くんが出るから絶対にいい作品になる

・裕翔くんの作品楽しみだな

という”安心感”と”期待”に変わっていった。

 

それなりの年月応援してきた大好きな人の成長を肌で感じられること、

映画・ドラマの「初主演」をリアルタイムでお祝いできること

アイドルとして、役者としてたくさんの方に評価される自担が見られること

 

「いつかこんな日が来たらいいな!」とずっとずっと思っていたことが実現する。

 

何よりもうれしく、何よりも幸せなはずなのに

どこか寂しく、どこか他人事のように感じてしまう。

 

 あまのじゃくな自分がいる。

 

「担当」という概念からの卒業

このタイトルを打っている間、脳内iPod尾崎豊の「卒業」を流してくれました。

♪支配からの卒業!!!

 

担当論を話し始めると長くなりそうなので、できるだけ手短に話そうと思う。

 

いわゆる「相葉担」だったとき。「担当」という言葉のルーツの話は避けるが

どうもこの「担当」という言葉がしっくりこなかった。

私の勝手な感覚で「担当」という言葉が「対等な位置にいるように見えて実は”斜め上”からその対象を覆いかぶさる状態」のように思えて、違和感のようなものを感じていた。

便宜上、郷に入っては郷に従えの精神から「担当」を名乗っていたが、

実情「ファン」という言葉が私にはすごくしっくりきていた。

 

それは、そもそも相葉くんが"年上のかっこいいお兄ちゃん"枠だったこと

”今でいうリア恋枠”だったこと、好きになったときはいわばスーパー停滞期ではあったものの「嵐=憧れの存在」だったということに起因する。

 

その後、裕翔くんに出会い

「相葉担だけど、JUMPの裕翔くんがかわいくて仕方ない」から「裕翔担」に異動することとなったわけだが、このとき「裕翔”担”」と名乗ることにはあまり抵抗を感じなかった。

 

担降りしたときのことを話すとものすごく長くなるから割愛するが、

裕翔”担”になると決めた背景には、嵐が名実ともに「トップになろうって夢絶対かなえようね」を叶えてしまったことへのおたくながらの達成感と寂しさもあったが、

「裕翔くんがこの先どんな男性・アイドルになるのかその過程を見守りたい!」という想いと、裕翔くんが時々話題に上げる「胃がキリキリしてた頃」故の

「微力ながらも支え、応援したい」という想いがあった。

だからこのときの感情が、相葉担当時しっくりこなかった私なりの「担当」という言葉の解釈とが合致していたが故「裕翔”担”(並びにJUMP担)」と名乗れたのであった。

 

しかし、近年の裕翔くん個人、並びにJUMPの快進撃*5を見るうちに、今まで気兼ねなく名乗れていた「担当」という言葉がまたしっくりこなくなってしまった。

ずっと長いこと引っかかっていたのが、

他のメンバーの活躍を見て焦っていた裕翔くんは、「自分にしかできないことを」と思いタップにドラムにカメラに・・・と趣味を磨いて、自らの武器を備えていた。

という話なんだけど。

ご本人がその話をする度に「裕翔くんにしかできないこと を磨いてくれるのは嬉しい。でも、やっぱり歌って踊って、ドラマに出て・・・とアイドルの王道をいく裕翔くんも見たいんだ!」と私は自分勝手なことを考えていた。

 

その想いがあったから、裕翔くんにドラマのお話しが来るようになったことは単純に嬉しかったし、いつの間にか「演技=裕翔くんの武器」になったことは、とても嬉しいことだった。見たい景色を見せてもらった、感謝の気持ちでいっぱいになった。

その感謝の気持ちは、”自慢”と”尊敬”に変わり、そしていつの間にか「随分遠くに行ってしまった」

 

 

成長を見続けたい。これからも私の「好き」の軸でいてほしい。

それが裕翔くん(とJUMP)への想いであることは好きになった当時からそうだし、

これからもきっとずっと変わらないと思うけれど、

今は完全に目線が”斜め上”から”(だいぶ)下”になった。*6

 

裕翔くんなら、JUMPなら大丈夫!安心!間違いない!

ここ数年で感じるようになったこの感覚が、

私を「担当」から「ファン」へと異動させたのであった。

 

「こうなってほしい」と夢見たものが現実となったとき、一気に肩の力が抜けたような気がした。茶の間の積めないカスヲタ風情がこんなことをいうのもあれだけど、

渦中にいたつもりが、自分には全く関係のないことだったことのように思えてしまった。

 

「片想い期間が一番楽しいよね」という言葉がなぜかものすごく身に染みる。

 

 

 

 

 

 

 

 

さーて、この先のしゅうさんは?

「担降りブログ」みたいな運びになってしまったが、

今現在、降りる先もないし、いっそおたくを卒業してしまえば・・・とも思うのだが

卒業した先の進路もまだ決まっていない状況が故に

生き方、動き方は多少濃度に変化は起きるだろうが大きな変わりはないはずだ。

 

便宜上これからも「誰担ですか?」と聞かれたら「裕翔担です」と答えることにはなる為、目に見えた変化もないとは思う。

 

ただ、うまく言葉にできないが間違いなく自分の中にいい意味でも悪い意味でも「革命」に似たことが起きていることが分かった。

 

担降りの階段を登るシンデレラ

今はそんな感じなのかな・・・・なーんてね。

 

 

とにもかくにも、年末年始カウコンの放映も無事に決まったことだし、

刑事バレリーノ・ピングレ関連はもちろんのこと、

ジュリー女子のお力添えのもときっと年末年始なにかしろJUMP界隈慌ただしくなるだろうから、はやめに24時間テレビのダビングを済ませ、茶の間のおたくはHDDの容量を空け、来たる決戦に備えるとするよ。

*1:落ち込んでいたのはきっと私だけではないはずだ

*2:どうあれというより、言葉にしてもいいならば「一生怨む」勢い

*3:「うちのメンバーの伊野尾が・・・」という後世に残したい名言を残してくれた故にこの作品の事を無下に出来ないという事情もある

*4:私に「演技力を測るものさし」が備わっていない故の疑問

*5:これもひとえにジュリー女史のお力添えによるものでございます

*6:決して見下していたわけではないけれど、僭越ながら母親・姉目線で見ていたことは否定しない