No doubt!!!!!

関西の”8人の小人”と紡ぐFunkyな日々

そんな”元担”なら捨てちゃえば?~深入りしない応援 のススメ~

・プライベートで何があろうが「仕事で結果を見せてくれればそれでいい」

 

・いろいろと事情はあったのかもしれないけど、さすがにフォローできないわー。

千年の恋も冷めるー。幻滅。ガッカリ。

 

相反する2つの感情がぐるぐるぐるぐる。

私がもっと気楽におたくできてたら1つめの感情だけで済んだかもしれない。だけど私は元メンヘラメッセうちわおばさん。いい年してこじらせたジャニヲタは些細なことからでも受けるダメージは大きいのです・・・・。

 

 

いやはや、まさか昔うちわ振ってた人があやうくグループの足を引っ張りかねなかったとは思いませんでした(笑)

品行方正キャラだと思ってたからダメージ大きいよね、みんな!

3年前に「全員成人したし、これで今後未成年飲酒・喫煙問題におびえる必要はなくなった。今後は安泰だ!!!」なんて思っていたけれど甘かった。

20代前半とはいえ、そろそろ体質(対アルコール)も分かってくる年齢かと思ったけれど、そうでもなかったんだねー。

 

熱愛報道なんてほんっとうにどうでもよくて全く何も感じなかったんだけど、

何に一番腹を立てているかというとまた”お酒絡み”だということ。

一昨年の「みたまひょっとこ騒動」は何の薬にもなっていなかったんですね★

それが一番ガッカリです。

「だから言っただろ!酒やめろって!!!!」

まさかりばちゃんを地で行く生き方してたとはね(笑)

 

これが「現役担当時代」での事件じゃなかったことが私にとって唯一の救いです。

 

担降りしてからいろいろと思うことはたくさんあったけれど

それでもやっぱり担当を名乗っていた時間と部屋に残ったたくさんのグッズはどうしてもまだ手放せていなかった。

でも、もうそろそろ”元担”という概念すらも手放してしまっていいのかもしれないね!

断捨離してもいいのかもしれないね!

 

無理だったね、笑顔でバイバイ

 

 私の「ドルヲタスタンス論」

 

 

ドルヲタのスタンスについての話は前々から度々繰り返されていましたが、2016年も様々なタイミングで議論がなされました。

顔ファンの何が悪いのか騒動。遠くの他担より近くの自担騒動。××寄りのall担騒動 等々。

私はどのスタンスも間違いではない(かといって正解でもない)と思っているから否定はしません。ただ、顔ファン顔ファン同士、all担はall担でのコミュニティでだけ上手に関係性を築いていけばいいと思います。もはや「宗派が違う」くらいの認識で互いに見て見ぬふりしておけばいいと思う。「見ない・聞かない・言及しない」これ大事。

 

私は名前うちわの裏にメッセージ書いちゃうようなメンヘラでイタいオタクおばさんだったので

顔ファンでもないし××寄りのall担でもないし、近くても遠くても自担派でした。

 

でも今になってみたら、こんな変なこだわりとか意地なんて必要なかったのかもしれないなーと思います。悔しいけどね。

 

アイドルソフトウェア論

「アイドル」を、あくまでアイドルという”商品・ソフト”として捉えられていたらどんなに楽だっただろう。アイドルがアイドルの仕事という範囲の中で努力・準備したものの「成果」だけを楽しめるスタンスだったらどれだけ楽しかっただろう。

ここまで”好き”をこじらせることもなかっただろうし、そうしたらおたくとしてもっとユルくいられて、少し違う人生を送っていたかもしれない・・。

 

私は、いわば虚構・偶像を人の形で具現化した「アイドル」に、

その存在自体が”限りなく真に近い「偽」”であることを分かっていながらも、

想像妄想理想幻想を塗り重ね、自分だけの「真」を創り出してしまった。

オセロの黒い面を「偽」としたら、それを白い面の「真」にひっくり返そうと、テレビ・雑誌・連載・ラジオから得られる”情報”を白い面と見立てて、黒い面を取り囲んでいた。

その白が”真の白”ではないことを忘れて。

 

 ”アイドルなのに” "ジャニーズなのに"という枕詞は今、活躍の場を広げるジャニーズのタレントさんたちの1つの武器である。

しかしその「アイドルなのに・・・」という枕詞が多様されるようになった反面で「アイドルだって一人の人間だ」という発言もよく耳にするようになった。

 「ステージの上でキラキラしてる××くんだけでいい!」という王道路線層がいつのまにかマイノリティ側になってしまった。

 

 ”アイドル”というソフトウェアは”一人の人間”というハードウェアを介在して実行される。それを理解した上でソフトの与えてくれる仕事という名の「成果」で満足しておけばよかった。

 

でもハードについてをあらゆるソースを用いて自分なりに読み解くことはとても楽しかった。

結論から言えば、無意識のうちに自分で書いていたプログラムを、無意識に自ら再生し、その成果をみてにやにやしていただけなのにね。

自分の書いた”アイドル”の美しいプログラムという物語の中で私はずっと溺れていたんだ。 

 

与えられるものだけを需要し、ちょっとした満足感を得る。これだけでよかった。

なのになぜ私は自らハードに歩み寄ってしまったのだろうか。

 

具体的にいえば何かある度に、自分の感想だけでなくその”アイドルがどう感じただろうか”と完全に無意味だけど一歩先行く解釈をしてしまっていた。

グループ内他のメンバーの仕事が次々決まる中、「きっと彼は今悔しいだろうな」「大丈夫かな、また胃をキリキリさせてないかな?」などとお節介に心配したこともあった。

その外にも何か新たな情報を得る度に「××くんらしい♪」とか言っちゃうような始末。

 

この行為は”本当に好きだったから故”の行ってしまったことなのだろうか、「××くんを好きな私」に自己陶酔していたからなのだろうか、「××くん担としてこうでいなくてはならない」という自分で勝手に構築した設定の中で溺れていただけなのか

 

***

 

先日も述べたが、最近のアイドル市場ではアイドルのハード面がもつ”人間臭さ”とか”裏側”を見せることにも価値がおかれるようになった。

ドキュメンタリー映画の公開のほかにも、「商品」自らがTwitterインスタ755ブログ有料サイト等で自身の胸の内を頻繁に気軽に発信できるようになった。

 

思い返せば美優紀ちゃんの卒業発表(当時はあくまでフラグ)も755発信だった。

新曲握手会楽しみにしてるねー!といったファンからの発言に「その頃私はいなかいかも」と卒業を示唆した美優紀ちゃん。

美優紀ちゃんらしい」とも思ったが、その私が思った”らしい”も要は私が渡辺美優紀というソフトに対して、外野で勝手に構築していたプログラムだったのだ。

本当の美優紀ちゃんなんて誰にもわからないのにね。

 

本当の××くん を求めない応援の仕方

結局のところ、仕事はやっぱり「結果」が大事なのだ。

アイドルが魅せてくれるキラキラした「結果」だけを受容しておけばいいんだと思う。

その裏でどんな努力があったかとか、そこに至るまでにどんな経験・歴史があったかなんて探る必要ないんだ。

深く踏み込んだらその分だけ受け入れる喜び悲しみの量は深くなる。

 

たかがアイドルの応援、そこまで深入りしないほうが身の為なのかもしれない。

 

映画「ピンクとグレー」がある種の未来予想図だったとはね。

大切なことは、全部ピングレが教えてくれた。

 

この年にもなって、つい最近担当を降りた人からこんな大事なことを教えてもらうことになろうとは・・・・・お恥ずかしい限りですよまったく。


逆に言えば「週刊誌の話なんてどうだっていいの~♪テレビでキラキラニコニコアイドルしててくれたらそれでいいの~♪」って言える層でいられたらどんなによかったかと、そういうスタンスでありたかったなー。


 

どうか、二度とお酒の失敗などなさらぬよう。

そして、グループの足を引っ張るようなことがありませんよう。

 

茶の間以下と化した元メッセうちわメンヘラおばさんはお祈り申し上げます★

 

 

しょーーーーーもなっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやっぱり悔しいな・・・・。

何かあったからのことなのかな。私たちの知りえない何かがあったのかな。アイドルというお仕事ならではの、一般人には計り知れない何かがあったんじゃないか・・。

ちゃんと寝れてるかな。ドラマ頑張れてるかな。また胃がキリキリしてたりしないかな・・・・。大丈夫かな・・・・。

 CMや歌番組で笑顔を見る度になんだかすごく悲しくなります。

ああ、またハードに深入りしてしまった・・・・・・だめだだめだ。