No doubt!!!!!

関西の”8人の小人”と紡ぐFunkyな日々

長く短い祭りの後に~ロスになんてさせてもらえなかった~

ドラマでも舞台でもコンサートでも何でもそうなのだが

「始まりがあるものには全て終わりがある」

 

そんなことくらい頭で十分理解もしているし、どうしようもないことくらい分かっているけど

この時間がずっと続いてほしい

最終日なんてずっとこなければいいのに

これが終わったら私は何を楽しみにしたらいいの

 

と来るべきXデーに恐れ戦いて

そしてやっぱり思った通りにいわゆる【ロス】に陥る。

 

その作品への愛や感情輸入が深ければ深いほど、懐古と寂寥感に苛まれながら長く長く深く深く【ロス】をこじらせてしまう。

(とはいうもののなんだかんだ数週間後にはケロッとロスも抜けてまた新しい楽しみにどっぷり浸かっているのだけれど)

 

この夏私は2つの【ロス】と握手しかねなかった。*1

 

1つ目は「おんな城主直虎」の【政次ロス】

史実から考えても途中退場することははっきり分かっていたはずなのにのに、いや分かっていたからこそ

7月末から8月20日にかけての約1ヶ月、気が気じゃなかった。

「たかがドラマ」と言われることを承知で言うけど、ほんっっっっとうにしんどかった。良くも悪くもしんどかった。

大河ドラマはほぼ毎年なんとなく観てはいたけれど、ここまで物語の世界観にどっぷり溺れた大河なんて久しぶりだったし、登場人物にここまで思い入れを持てたのも初めてだった。

小野但馬に、鶴に、政次に、高橋一生氏に、そして何より森下脚本にまんまと振り回されて嵌められて、悔しいけどすごく充実していた。続きが気になって「早く次の回が見たい!」なんて思ったの、半沢直樹以来だった。

政次が、鶴が、とても魅力的な人物で、いなくなるなんて考えたくないくらい必要な人だったから、

実は私たちが知ってる史実は、まやかしだったんじゃないか、そうであってほしい。なんなら「今からでも遅くないから*2歴史学者もびっくりな新たな文献とか発掘されないかしら!!」と戯言を言いたくなるくらい、政次の退場を受け入れられなかった。

 

 

そしてもうひとつのロスは「少年たち~南の島に雪が降る~」の【囚人No.55(今江くん)ロス】

 

(正直舞台に対して言いたいことを1つ1つ挙げていったら、1エントリ分は余裕で費やせる気もするけど)

一瞬の瞬きも惜しいくらい、ずっとずっと目の前にいてほしいくらい良かった。

松竹座で夏を過ごすのもやっとのことで片手じゃ収まらないくらいになったけど、

これまでで【一番終わってほしくない夏】だと思った。

 

 

そんな悶々とした想いを抱きながらも20日に政次退場・27日の「少年たち」閉幕を乗り越えたわけだが、いざ蓋を開けてみたら【ロス】るどころかすごく【前向き】な自分がいるのが実際のところだった。

 

「直虎」に対して言えば、あの名場面、

"直虎が政次の旨を槍でついたあのシーン"、

あそこの政次の笑顔に全部のこの得体の知れない不安や悲しみを浄化してもらったような感覚だった。

正直、高橋一生さん目当てで観始めた直虎だった。政次が退場したら観るの辞めちゃうかもなーと思いながら見始めた大河だった。

しかし、見続けていくうちに森下脚本と俳優陣の化学反応に巻き込まれ

「政次が、直虎が、井伊家がどんな道を進むのか」まるで自分がその時代に生きる、時に井伊の者・時に戦国大名のような目線で物語を捉えるようになってしまった。

政次がいないことは寂しい。何らかの形でまた出て来てほしいとは思う。

でも、それ以上に【(それだけ魅力的だった)政次が命を懸けてまで守った井伊がどんな道を進むのか】を見届けなくてはならないような、そんな勝手な使命感すら感じるようになった。(故に27日の回は視聴済★)

 

「始まりと呼ばれるものは、しばしば終末であり、終止符を打つということは、新たな始まりでもある。」(T.S.エリオット)

この言葉が妙に今のドラマの中での井伊(と視聴者)にシンクロしているような気もしていて、ふと気づけば【政次ロス】なんて概念はすっかりどこかに行ってしまった。

 逆にロスってること自体、政次に失礼な気すらもする。

高橋一生氏と森下脚本にまんまとしてやられた。

 

「少年たち」はまた違う過程ではあったが、気付いたら「終わり」を悲観的に感じなくなっていた。「はやく終わってほしい」とまでは言わないが、それでも「終わらないでほしい」という想いより次の季節への期待が上まっている。

『"次"が必ずあるわけではない』ことは重々重々理解しているものの、なんならこれがもし最悪最後だったとしても「今江くんに対してなんの文句もない!」と胸を張って言えるくらい清々しい気持ちで幕が降りるのを見届けられた気でいる。

 

今年は(×は→○も)だいたい週1ペースでお邪魔できたのだが、初見(第一週)の時点で今江くんの演技の完成度の高さに驚いた。所々「ここの言い回しが気になるな」と言ったところもあったけれど、声量も立ち回りも顔の演技も見事で「この人のファンでいられて誇らしい」と思うくらいだった。『この舞台がずっとずっと続けばいいのに、そしたらNo.55の囚人さんにもっとたくさん会えるのに』と思っていた。

しかし、観劇を重ねていくうちに回を重ねる度にどんどん良くなる今江くんの演技をみて

この「少年たち」に止まらず『もっともっと色んな演技が見たい』と思うようになった。

 

 

去年までも漠然と「はやく演技してるのが見たい」と思っていたけれど今までとは全く違う。

笑いを取ることに囚われない舞台だったら

時代劇だったら

「カラフト伯父さん」のようなストレートプレイだったら

もっと話の筋がしっかりしていて深く役作り出来る作品だったら

どんな演技をみせてくれるんだろう、と。

 

「演技してる今江くんに会いたい」じゃなくて、【今江くんの演技をもっともっと見たい】という感情を抱けるようになった。

舞台序盤に突然【役が降りてきた】伊野尾くんみたいに、今江くんに役が降りたところも見てみたいという期待もある。

 

特に今の関西Jr.を取り巻く状況下ではそう簡単にチャンスが回ってこないことも理解はしているし、最悪のケースも考えながら過ごさなきゃいけない側面もある。

それでも、例え叶わなかったとしても「ちょっとだけでも夢を見られる位置にきてくれたこと」「夢を見てもいいような土台をつくってくれたこと」この2つのことのおかげで【ロス】になんかならずに、【未来は明るい】と思えるのかもしれない。

 

結局のところ、何かを終わらせるピリオドに「先を明るく照らす"強さ"」があったから、ロスなんて忘れてしまうくらいの充実感を得られたのかもしれない。

 

例えそれが虚構の世界のことであっても、「次の何か」に期待できること・想いを馳せられることが【ロスってる場合じゃない】と背中を押してくれているのかもしれない。

 

まだまだ暑い日は続きそうだが、これをもって(おたく的)オフシーズンに入る。

長いようであっという間の祭りも終わる。

当分の間はふと懐古に浸るときもあるだろうけど、

この夏を共に過ごした二つの作品・役者さんのお陰で次の季節に向けて軽快な1歩を歩めるような気がする。

 

また次の季節以降も、【××ロスが今から怖い><】と思えるような素敵な何かに出会えることを期待しつつ。

おたくは黙ってせっせと貯金に勤しむこととする。(これだけ偉そうに語っておきながら「あまロス」は長いこと引きずったんだけどね)

 

 

 

 

 

 

尚、当面の一番の楽しみは「直虎で寺田心くんがどうやって菅田将暉くんに変わるか」である。

 

ちゃんちゃん。

*1:feat.水の帰る場所

*2:正直全く間に合わない