No doubt!!!!!

関西の”8人の小人”と紡ぐFunkyな日々

役者という生き物

気付いたら2020年も後半戦に突入していて。

何事もなければ今頃オリンピックだとか言って世の中浮足立っていて、オリンピックに何の縁もゆかりもない私は「なんでこのオリンピックの最中に東京で舞台(滝沢歌舞伎)設定してるんだよ。おたくは首都圏民だけじゃないんだぞ」とブーブー言いながら福利厚生サイトで日々安い宿を探していたのかと思うと、回避できてよかったと思う反面なんだかさみしくもあり。

 

コロナウイルスの影響で在宅勤務メインになったり、私自身もビビって極力自宅警備していたりとここ10年くらいで一番のんびり毎日を過ごしていて、世の中もいつになくのんびりしているように見えるけれど暦だけはマイペースに着実に進んでいる。

 

芸能人のコラムみたいな書き出しになってしまったけれど、要するに、自担・・・・うーんなんだか変だな、推してる人、これも違う。お慕い申し上げている方、応援している方が「役者になる!」宣言をしてからちょうど1カ月経った。

 

この1カ月で何がどう変わったのかと聞かれると、私が情弱なのかもしれないけれど、担当側から言わせてもらえば特に何かが変わったとは思えず。所属としても今も関西ジャニーズJr.なんだろうし(これは龍太くんも同じか)、目に見えて何か事務所側から提示されたわけでもないから正直ぴんときていない節がある。

強いていうならば今まで身近な存在だった「まいジャニ」「少クラ」「ドル誌」が遠い存在になってしまった気がするくらいかな(そもそもコロナで各媒体それどころじゃないんだろうけど)。

そういえば今ふと思ったけど、今年はin大阪あるのだろうか?まあ、あったところでもう関係ないのかな、と思うと少しだけ胸にしみるものがある。

こうやって書いていて思い出したけど、7・8月の関西ジャニーズ配信。

今まで「他関西ジャニーズJr.」の記載を見て「まあ9割方出るだろうけど一応予防線は張っておこなきゃな」と思っていたのが、今回は「ふーん」と他人事になってしまった。これは大きな変化かもしれない。(とはいうものの、いつぞやの文ちゃんみたいな「松竹座にお風呂借りに来たついでに一踊りして帰る」とか「ポスターに出てても出演しないと思ってたやろ、増えるほうもあるんやで」を期待している自分もいるけれど。)

舞台班担当になって最初の1月目は、こんな感じでなんだかよくわからないまま過ぎ去ってしまった。

 

ところでタイトルに載せた「役者」というワードについて。

今江くんの「役者になる」宣言があったからだろうか、いつもならなんの気にもせずに読み飛ばす「役者」という二文字なのに、最近ある記事で見た「役者」という言葉がいい意味でひっかかり、心にたまっていた感情をアウトプットしたい欲にかられて久しぶりにブログを書こうという気になった。

 

このコロナ自粛期間、「プロの引きこもり」を自称する私ですら閉塞感に襲われげんなりすることもあった。そんな私の自粛期間中の心の支え、生きる楽しみだったのは「美食探偵」並びに「中村倫也さん」だった。(話すと長くなるため割愛するが)

 

news.dwango.jp

news.yahoo.co.jp

 

先に述べた「役者」という単語に引っかかったという件、リンクを載せた記事の中にある*1『自分は役者なので折角なら朗読(という形)ではなく芝居をして、フィクションを楽しんで下さっている視聴者の皆さんの感情がなるべく途切れないようにお届けしたい』という中村倫也さんの記事内の発言によるものだ。

 

「自分は役者なので」という文字列。一見何の変哲もない文字列であり、役者(俳優)である中村さんが発することに何の違和感も問題もない文字列なのに、どうしてもこのワードが頭から離れない。

「自分は役者なので」、昨今のフィーバーっぷりから多少天狗になってもいいはずなのに、地に足つけてご自身の立ち位置をちゃんとキープするために自制を込めて使っているのか、それとも「役者」という職業に自信と誇りを持っているからなのか、あまり深い意味はないのかもしれないが、なんとなく私は、この「自分は役者なので」と発した中村さんをめちゃくちゃかっこいいと思った。

「役者」さんのお仕事の範囲って自身の役だけじゃなくて、物語全体をどう構築するかも含まれてるんだな、と新たな発見もあった。これは中村さんが主演であることとこれまでの実力と実績があってこそ与えられた役割なんだろうけど、「役者」って奥深いな(語彙力の敗北)と感心した。まあ、これらも理由の一つだが、でも理由はこれだけじゃない。

 

最近、雑誌のサブスクで中村さんのエッセイやインタビュー記事を大量に読んでいるのだが、そういえば、やんごとなき雑談@ダヴィンチの「コロナ禍や東北の震災などの日々の生活が脅かされているときの役者という仕事の存在意義とは(ニュアンス)」というフレーズも印象的だった。

中村さんの記事では「自分は役者」というワードと「フィクション」というワードが度々登場する。「役者」という仕事は「フィクション」の世界で生きているもの、というようなニュアンスでお話されていることが多いと記憶している。

きっと他の役者さんの記事でも同じような話は出ているのかもしれないが、中村さんの記事で見かける「役者(=フィクションの世界で仕事をするもの)」という言葉に度々不思議と反応してしまっている。

 

「役者」=「フィクション」、当たり前の話なのになぜこんなにひっかかるのだろうか。単純にこの概念を明確に言葉にしている人を他に見たことがなかったから、新鮮さを感じていたのかもしれない。

でもそれ以上に、私の中で「今江くん」=「役者」と考えたときそこに=「フィクション」が続くことに抵抗がある、これが一番の理由なのだと思う。

 

アイドル自体そもそも偶像なのだからフィクションと言ってしまえばそれまでなのだが、それでもきっとこれまでに観てきたステージ上の今江くんは限りなく素の、ノンフィクションの今江くんだった。そして、ステージ上やその他のメディアから提供されるノンフィクションの今江くんが好きで応援していた。だから、きっと主戦場がノンフィクションからフィクションに変わることに、私は何かしら寂しさや怖さを感じているのだと思う。

きっとこれから先も(主に丈ちゃんの日誌で)ノンフィクションの今江くんは時折提供されると思うが、それでも今まで同じラインで踊ってた人達がノンフィクションに近い戦場にいる中で違う道を進むということにまだ気持ちがついていけてないんだと思う。

お芝居している今江くんも好き!もっとたくさんの舞台に立ってほしい!いろんな役を演じてほしい!と思っていたものの、いざ本当にその道に進むとなると簡単に気持ちの整理ができないのが私の本音なのかもしれない。

 

だけど、逆に今江くんが言うところの「役者」という言葉の意味や中村さんが言うところの「役者」に近いものなのだとしたら、ものすごく楽しみな節もある。

(全く同じ土俵でしてもいい話だとは思わないが)このコロナ自粛中、中村さんの過去出演した作品をアホみたいな勢いで一気見した。どの作品も単純に面白かった。中村さんのミミックオクトパス俳優(=カメレオン俳優)っぷりに「すごいなこの方」とひれ伏していたのだが、その一方で「今江くんも案外カメレオン気質持ってる気がするなあ」と思い、「こういう役今江くんが演じたらどうなるのかな」とか「今江くんがこの役演じたらおもしろそう」と「役者:今江大地」に対する期待値がどんどん上がっていった。

 

今江くんがあのタイミングで、あのかたちで発表した「役者一本にする」という話。

個人のただの決意表明(「海賊王に俺はなる!」的ニュアンス)なのか、事務所と協議した結果なのか、後者だとして役者としての道を整えてもらえてるが故の話なのか、実は遠回しの戦力外通告なのかそのあたりは全くわからない。

今江くんが言うところの「役者」というのも、何を指しているのかもわからないし、

今江くんが進む「役者」の道にどんな演目や役柄が待っているのかもわからない。

コロナのこともあるし、直近のお仕事も見えてこないから今の時点ではあまり期待しないようにはしているが、それでも「役者:今江大地」が「フィクションの世界」で輝いてくれることを期待したい。

 

今江くんが選んだ「役者になる」という道が、どうか正解ルートでありますように。

そして、いつか「役者」として、ステージ上で歌ったり踊ったりする今江くんが観られる日が来ますように。

そんなことを考えながら、コロナ禍を強い心で乗り越えていこうと思う。 

 

 

尻切れトンボになってしまったが、おしまい。

 

追記

ポンコツ武将列伝」も延期という前向きな方向性を示してもらえているものの、この舞台に限らず、日本の演劇界自体が長く深いトンネルに押し込まれてしまい、各方面で試験的に非常口から脱出を図ろうとしている状況なので期待せずに気長に待つしかないと思っている。今江くんがちょんまげ用に前髪をのばしている限りは期待していていいと思うので、関西Walkerでの生存確認は今後も前向きに続けたい。

 

*1:撮れていないシーンがあるが、クライマックスシーンコロナでの影響で予定通りのロケを行えないため、朗読劇の形を取りたいという制作陣の提案に対する