私が”うちわ”を振る理由①
「マイお題」という機能の存在を今日初めて知ったITオンチのいずえです。こんばんは。
たまには家でゆっくりしようと思い、このGWは意図的に殆ど予定を入れなかった。
部屋の掃除をしながらふと考えた。
”担当”とは何だろう、”うちわ”とは何だろう。
ちょうど5カ月前、”担降り”した私が担降りに至った経緯を「自身の”うちわ”論の変遷」と共にうだうだと語ろうと思います。
うちわはコンサートの必需品?→ファンサもらえるならほしいな・ファンサって本当に必要なのか?→今あなたの名前うちわを振れている、本当に幸せです!
の3本立てでお送りします。
そうです、ヒマナンデス。
(担当制度とかうちわ・ファンサってジャニヲタの永遠のテーマだと思うのですが、ジャニヲタの皆さまのお考え拝読したいな・・・などと僭越ながら考えております。)
既に似たようなお題があったらごめんなさい・・・こっそりご指摘いただいたらすぐに修正・消去致します・・・・。
1.右手にはペンラ!左手にはうちわ(1枚)!がドレスコードだと思っていたあの頃(相葉担時代)
私のコンサデビューは2006年ARASHICでした。
当時超リスペクトしていた古株櫻井担・二宮担にコンサの心得やC&Rを教えてもらい、
二人の教えに従い、黒いうちわに緑のデコパネで作った「雅」(相葉担だったので)の文字を貼りつけたうちわを作りました。「ああ、これがずっと憧れていた手作りうちわか!!!」「これで私もあこがれのジャニヲタデビューだ!!!」と心浮かれていました。
当時は”ファンサ”というものに関心が無かったのですが、友人の「タイミングがよければファンサービスもらえるから!裏面も作ろう!」というアドバイスに則り
櫻井担の「スワンやって!」二宮担の「ニノ嵐やって!」をまねて
「イタリアの大砲やって★」
といううちわを作りました。
なぜあのとき私はシンプルに「Aの嵐やって!」を選ばなかったのか、今でも当時の自身の思考回路が信じられません。
万が一トロッコで近くまで来てくれたところで、トロッコ上で相葉くんがイタリアの大砲をしてくれるわけがないのに・・・・・。万が一大砲してくれたところでたいしてキュンともしないのに・・・・。
そんなこんなで、相葉担を名乗っているときは「席云々関わらず、うちわとペンラは必需品!」という概念で生きていたわけでありました。
相葉担時代は基本茶の間・時々コンサにお邪魔する程度だったから、形式的に「相葉担」を名乗ってたけど濃度としては「相葉くんのゆるゆるなふぁん!」だったかなと思います。
当時ファンサというファンサに本当に興味がなかったからか、嵐のファンサ文化に興味がなかったからか、相葉くんがうちわ見つけて指差して手を振ってくださったことも何度かあったけど「うわーすげー相葉くんが手振ってくれたよー。かっこいい・・・・(ぱたり)」程度の感覚でした。そのあとすぐドーム規模にもなっちゃったから今となっては貴重な経験でした。びゅーてぃふるわーるど以来嵐の現場にお邪魔してないので今どんな文化が根付いているのかまったくわからんすですが。
ところで 嵐が国立競技場でで初のコンサートを成功させ、ノリに乗り始めた頃、私は名古屋でコンサートがあるから・・・ということでJUMPのコンサートにお邪魔しました。そこから長く深い"キモヲタ"時代が続き、”うちわ” ”ファンサ”文化との闘いの日々が始まります。→②へつづく